心の底から思い知らされました

メーカー勤務 狩野雅彦

私と安藤さんとの出会いは、1999年、勤めていたキリンビール(株)の四国支社営業企画部長に鹿児島から高松に転勤したあとでした。

当時は「キリンビール高知支店の奇跡」で有名となった田村潤元キリンビール(株)副社長が高知支店長で、アサヒビール(株)と四国4県で激戦を繰り広げている最中でした。

着任してすぐに、私は「恐るべきさぬきうどん」香川県のローカル出版本に遭遇しました。そして、そこに書かれているさぬきのうどんワールドに魅せられたのです。セルフや製麺所、民家風、道なき先の一軒家からパチンコ屋の裏側まで奇想天外なこの世界を知りたい。元来のうどん好きの魂が呼び起こされ、自転車をこいで、半年で100店のうどん屋を巡り歩きました。

それを聞いた早稲田の後輩であり、四国の業務用酒販店の雄、久本酒店の佐藤哲也社長が、「キリンにおもろい饂飩部長がいる。」引き合わせてくれたのが、著者でタウン情報香川の編集長の田尾さんと広告代理店勤務の安藤さんでした。

お二人と意気投合した私は、「饂飩巡礼88か所のうどんめぐり」を企画したら面白い!」と発案し、「それいただき!」

と現実に仕上げたのが安藤さんでした。

キリンビール(株)も協賛し、「キリンうどん巡礼88か所」として全国からディープなうどん屋めぐりに多くの客が押し掛け、当時の香川県知事から感謝状をもらうまでのヒットイベントとなり、うどんブームの一旦を担ったのです。

また、キリンビールにとっても、地域貢献とエリアコミュニケーションでの成果をつくりあげ、高知支店長から、四国支社長となった田村さんの奮闘もあり、四国支社はキリンビール全国13支社全国最下位から達成率トップに大躍進を遂げたのです。

 その後、安藤さんとは映画「うどん」チケットをいただいたり、東京のうどん店を紹介してもらったり程度で、月日がすぎ、安藤さんはADK福岡へ、私はキリンの子会社をいくつか経て、2015年3月にキリンビールを早期定年退職して、今の会社に再就職しました。

新しい会社では新規事業を担当することになり、いくつかの分野と商品がありましたが、いずれも苦戦。

特にアルコール消臭剤の分野は、まったく売れていない状況でした。

その商品を昔のよしみで佐藤哲也社長に贈ったところ、それが安藤さんに渡り、「正直、これはよくわかりません!」という評価とともに、送付されてきましたのがドラッカーの「安藤式チャート」でした。

私は、正直、ドラッカーについては、会社の研修課題図書として斜め読みをしたぐらいのレベルでした。

安藤さんから、「安藤式チャート」ドラッカーがこなければ、自分の事業内の商品を、ドラッカーの視点で見直してみることなどとてもなかったと思います。

また、本は本、実務は実務と、とても浅いレベルの理解では、役にたつように落とし込むことはできないだろうからと、興味も湧かなかったと思います。

安藤さんからは次次とパート別に拝見させていただいて、この人は本当にドラッカーを源にして、実務、現実を実践されているなだと、「神」感覚を感じたものです。

私の現業から言うと、「チャートで考える」と、ひとりよがりの製品がどうして売れないか、そもそも意義があったかということを心の底から思い知らされました。

そして、今、アルコール消臭剤は原点に戻って、新製品を出すか、意義がないのであれば、やめるかが、会社で検討されています。安藤さん!ありがとう!

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